第5回(6月27日 アップロード)


今回は、日本の宗教について考えて見たいと思います。


 皆さんは、なにか宗教を信仰しておられるでしょうか。

 私は、特にこの宗教を信じているというものはありませんが、お正月になれば、神社に初詣に行き、クリスマスにはケーキを食べ、父や母はお墓に埋葬して、法事などはお寺にお願いしています。
 だからといって、仏教を信仰している訳でもなく、ごく一般的な日本人なのではないでしょうか。

 けれども、これまで62年も生きてきて、また、長いこと医者をやっていると、人間の力を超えた何か大きなものがあることを信じたくなります。 それを神と呼ぶのか、運命と呼ぶのかは判りませんが、とにかく人智を超えた大きな力があると感じるようになりました。

 日本には、仏教が渡来する前から、日本特有の信仰がありました。
 それは、自然を敬い、自然の力を畏れる心です。

 今でも、富士山に代表される山岳信仰や、海や川、大きな木や岩をご神体とする神社は沢山ありますし、豊作を祈る祭りや雨乞いなど、日本古来の宗教的な行事が、皆さんの住んでおられる地域にも沢山残っていると思います。

 古事記や日本書紀に見られる神話は、その代表的なものでしょう。

 このような背景を持っている日本に仏教が渡来したのは、6世紀の半ばでした。
 百済から渡来した仏教は、経典と仏像を伴っていました。従って、経典を読み書きする教育文化的な一面があり、また、仏像という偶像(それまでの日本には、人の形をしたご神体はなかったのです)を崇拝するという新たな習慣をもたらしたのです。

 また、百済からもたらされた仏教には、百済の聖明王の「諸法の内で最も優れた法である仏教は、無限の幸福をもたらしてくれ、すべての物事がうまくいく…」といった内容の上奏文がついていたといわれており、願い事を叶えてくれる「神」として、受け入れられたようです。

 このようにして、日本では仏教は渡来当初から現世利益の宗教に変わっていったことになります。

 そして、日本古来の神と仏教が渾然一体となって存在する、日本独特の多神教の世界が造られて行きます。

 仏教の流れとしての修験道は、役行者(えんのぎょうじゃ)が開祖と言われていますが、道教と密教的な修行を積んで霊験を獲得したもので、一種の呪術(悪鬼を調伏するなど)と言ってもよいでしょう。
 そして、修験道の修行者(山伏)が信仰するのは、「神宮寺」と呼ばれる神社と寺院が合体した伽藍に奉られる権現様と大菩薩であり、神の前で仏教の経典を読むという、まさに神仏混淆の世界がそこにあります。

 一番よい例は八幡様だと思いますが、京都には石清水八幡宮があり、鎌倉には源氏の氏神として鶴岡八幡宮があります。もちろんその他にも全国各地に八幡宮があり、八幡様に呼びかけるときには「南無八幡大菩薩」と唱えるんですよね。
 「神」と「仏」が一緒になっていることが、お判りになるでしょう。


 いやー、なんだか難しい話になってしまいました。(^_^;)

 けれども日本人の死生観を考えるとき、日本の宗教を無視するわけにはいかないようです。
 堅苦しい話になってしまいますが、もう少し、おつき合いください。

 この文を書くにあたって、久保田展弘先生の「日本多神教の風土」(PHP新書)を参考にさせて頂きました。