第6回(9月3日 アップロード)


前回に引き続き、" 日本の宗教について " です。


 前回は、日本の多神教が形作られるまでを、お話しました。
 そこで今回は、日本の宗教と世界の宗教について、考えてみたいと思います。

 現在の日本で最も広く信仰されている(と言ってよいのかどうかは判りませんが…)のは仏教だと思いますが、前回お話ししたように仏教にとっては不幸なことに、渡来した時から願い事を叶えてくれる「神」として、受け入れられてきました。
 仏教本来の「悟りを開いて、衆生を救済する」と言う目的が変化して、自分の願い事を叶えてもらうためにお経や念仏を唱えることが、目的になってしまったのです。

 このような仏教が日本古来の神々と一緒になって、日本独特の多神教の世界ができてきました。
 日本の神々は自然の中にあったのですから、ごく身近なものであったわけで、亡くなった人の魂は、残された人たちを「草葉の陰から見守っている」と考えるのも当然ですね。
 こうした習慣の中に入ってきた仏教は、「神仏におすがりする」、「神も仏もないものか」など、日常的にも神と一緒に扱われています。

 仏教を本来の姿に戻そうという試みは、これまでにもしばしば行われてきました。 禅宗もその一つだと思いますが、現在は哲学的な面が強調されて、私たちからは少しかけ離れてきているようにも感じます。
 今また、葬儀や法事の時にしか顧みられなくなってしまった仏教を見直して、宗教としての仏教を取り戻そうという活動が盛んになってきています。

 現世利益を願うのは日本の宗教だけではなく、世界中のどの宗教にもこうした一面はあります。
 キリスト教の世界でも、神に祈り、自分の願いが叶えられるならば、神のために何でもすると約束するのは、日常的に行われています。

 けれども、決定的な違いは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教などの唯一神を信仰する人たちは、その結果がどうであれ、神の下された決定には従うということです。
 それが自分の望まない結果であっても、「それは神のご意志なのだから」と受け入れるのですね。

 このことは、病気について本当のことをお話しする(いわゆる告知の)場面でも、大いに影響してきます。
 外国のクリスチャンの人たちは、"がん"になったのは神のご意志なのだから、自分の病気をよく知った上で治療を選択しようと考えます。
 そのためには、自分が納得するまでは説明を求めますし、医師も分かり易く説明しようと努力します。

 診療情報(カルテ)の開示なども、このような考え方からすれば当然の成り行きになります。

 開示を法律で定めるより先に、自分の病気を良く理解して納得した上で治療を受けるという習慣を、日本全体に広めることに努める必要があるのではないでしょうか。

 もちろん医師の側も変わらなくてはなりません。これまでのようなパターナリズム(自分に任せておけばいいのだ…よらしむべし、知らしむべからず)ではいけません。総てを患者さんに説明し、患者さんと一緒に病気と闘っていく姿勢が必要です。
 日本では、まだまだパターナリズムにとらわれている医師が多いのが現状で、医療を受ける人々の意識を変える前に、医師の考えを改める方が先決なのかも知れませんね。


 独断と偏見で書いていますので、仏教に携わっておられる方々には異論のある方も多いと思います。
 「ここは違うぞ」、「本当はこうなんだ」など、ご意見をお聞かせ願えれば幸いです。