ボランティア活動の実際
 当院のホスピスでボランティアをしている柏木太平さんが、'01年2月24日に開催された宮城県看護協会主催の在宅ケア研修会に招かれてお話をしてきました。
 ご本人の了承を頂いたので、その内容を要約して掲載いたします。

 柏木さんは郡山生まれで、平成6年に会社を定年退職しました。その年の10月から老人保健施設で週2回デイケア・ボランティアを始めました。

 ホスピスに興味を持ったのは、山崎章郎先生の書かれた「続・病院で死ぬこと」を読んで人間性を尊重した医療が行われていることに感動したことと、ご自分の身内や友人にがんで亡くなられた方が多かったことからだそうです。

 以下に講演の内容を要約しますが、ボランティアのお仕事を知っていただくと共に、その活動を通してホスピスケアの一端をご理解いただければと思います。

講 演 内 容

 「ホスピス・ボランティアとなるまで」

 郡山市で行われた山崎先生の講演会に参加して、ホスピス・ボランティアになるための資質について質問したところ、ボランティアのための研修会があるのでそれに参加してはどうかと言われた。

 「生と死を考える福島の会」主催の「終末期介護ボランティア研修講座」が開かれることを知り、平成10年6月から11年3月まで11回、33時間受講した。その後坪井病院で面接を受けて、ボランティアとして登録された。

 平成11年4月からホスピス・ボランティアを始め、毎週木曜日に午前9時から午後5時頃まで活動している。  

男性ボランティア三人衆
左が柏木さん
 「どのようなことを行っているか」
  1. 患者さん・ご家族とふれあうこと
    1. 病棟を離れて
      • 外出のお供:散歩や、車椅子やタクシーを使っての買い物の付き添いなど
      • 買い物の代行
      • その他の用事:車の税金の払い込みなど

    2. 病棟の中で
      • 傾聴を心掛けての会話。時には一緒に歌ったり・・・
      • マッサージ(自彊術初伝の資格あり)
      • 談話室でCDを聞いたり、カラオケやカードゲームをしたり、ビデオを見たりする。
      • 入浴介助(看護婦さんと一緒に)

  2. 間接的なこと
    1. 病棟行事の準備、参加、後かたづけ。
      節分(豆まきの買い物)、雛祭り、端午の節句の飾り付け、花火大会の準備やウエイター・後かたづけ、紅葉狩りや芋煮会・クリスマス会の準備や参加など。
    2. 談話室の図書交換:
      月に1回、患者さんやご家族の希望を聴きながら、ボランティアの先輩2〜3人と郡山市安積図書館で100冊前後の本を交換してくる。
    3. 病棟内の掃除:担当者とは別に窓や天井など。夏には蜘蛛の巣取りも。
    4. 廊下の額画の交換

 「心掛けていること」

  1. ホスピスケア・チームの一員であるという自覚を持って、ナースの指示に従い、「報告」「連絡」「相談」を心掛ける。
  2. ホスピス・ボランティアとしての条件を守る。
  3. 患者さんやご家族のその方そのもの(存在・神性・仏性である"いのち")に畏敬の念を持ち、つらい「お体」「お心」に、いたわりを込めて接する。
  4. 自分自身の健康に気を付けて、約束の日に休まない。

 事 例

1)Kさん(53歳)、男性
 [ 外 出 ]
 ボランティアの初日、Kさんはもちろん、ナースの皆さんも私を待っていてくれた。
 彼の主治医が、彼が願っていた福島空港へ一緒に行く約束をしていた。空港へ着いて、歩けない彼を車椅子に乗せて、空港のビルの中をお供した。
 幸運なことに、札幌便到着のアナウンスがあり、送迎デッキに出た。思ったより風が冷たく、着ていったコートを彼の背中に掛けて、飛行機の着地とビルに向かって近づいてくるのを眺めた。
 飛行機の到着まで見ることが出来て、彼は気前よく、地元の銘菓「かみしめ」と「だんご」、それに「玉こんにゃく」を、ナースへのお土産として買ったのだった。
 帰りの車中で、助手席に座った彼の顔がサイドミラーに映った。彼は満足げに「行けてよかったー」とつぶやいた。  

中央後ろが柏木さん、右端は主治医、
左は受持ナース
 福島空港の建設に携わった彼は、完成した姿をもう一度見ておきたかったのだろう。
 「行けてよかったー」という言葉は、私達に向かって言っただけではなく、彼自身に対しての熱い思いだったのだと思う。私もまた「行けてよかったー!」との思いがこみ上げてきた。

 それから後も、開成山公園の花見、近くのスーパーへの買い物など、ナースと一緒に車椅子で出掛けた。
 外出が出来なくなってからは、買い物の代行をしたりもした。

 [ マッサージ ]
 初めてマッサージをさせてもらったのも、Kさんだった。
 自彊術初伝の資格を持っているので、「足が重くて・・・」と辛そうな顔を見て、ナース立ち会いで足もみをした。
 それ以後は「楽になった・・・」という彼の言葉と、婦長にも体験してもらったことから、患者さんばかりではなく、付き添いの家族の方々にも、マッサージをさせてもらうようになった。

 彼とは8週間のご縁であった。

2)Eさん(73歳)、女性
 [ 皇 帝 ]
 ご主人をがんで亡くされたEさんは、ご自分で納得できる生き方をしてご主人の傍らへ逝く日を迎えたいと願って、ホスピスを選ばれた。
 保険関係の仕事をしておられた彼女は、お部屋にパソコン(i-Mac)を持ち込んで、「後輩から頼まれたプランを作ってあげているのよ」と笑顔で言われた。
 婦長に紹介された後、「先ずお茶を飲みましょうよ」とおっしゃり、私がお茶を入れようとすると、「男の人より、私が・・・」と入れて下さった。
 お茶を頂いた後でマッサージをしていると、何度も「気持ちがいいわ」と言われた。
 次の週、マッサージをしながら趣味の話になり、音楽がお好きなこと、とりわけベートーベンのピアノ協奏曲「皇帝」が大好きとのことであった。
 その日帰宅してから、「皇帝」のレコード(SPとLP)とCDをテープに録音して、翌週にその全部を持っていった。
 懐かしそうにSPレコードをジャケットから取り出して見入っている彼女の姿を見て、「テープもありますよ」と言うと、傍におられたお嫁さんが車からテープレコーダーを持ってこられたので、三人で聴くことができた。
 マッサージを受けながら「何て贅沢な!」と、うっとりと目を閉じている彼女に、「テープに録音しながら久し振りに聴きました。力強いだけでなく、とてもロマンチックなんですね」と言うと、にっこりと微笑まれて「そうですよ」と言われた。

 Eさんにお目に掛かれたのは、次の週までだった。
 その次の週から2週間、私用があってボランティアを休んでしまい、3週目に行った時には、傾眠状態になっていた。
 ナースステーションにお嫁さんが来られて「姑(はは)の気持ちとしては柏木さんによい姿の記憶だけを残したいと思うので、顔を合わせないで・・・」と言われたので、「お姑様を心から尊敬しております。ご縁を頂けたことを幸せに思っております、とお目覚めの時にお伝え下さい」とお願いした。
 ご主人のお側に旅立たれたのは、その20日後であった。

 お好きな曲そのものの、尊厳ある生であり、死であったと思っている。

3)Aさん(58歳)、男性
 [ 今は、愛しい人になりました ]
 Aさんは病状が進んで、身の置き所がないほどのつらさを堪えていた。体の状態に合わせて、もむと言うより力を抜いてゆっくりとさすった。傍らにいらした奥様がやつれた様子なので、Aさんを一通りさすった後で、奥様にもマッサージをさせて頂いた。
 肩を揉んでいると急に泣き出されてしまい、「主人は分かってくれないんです」、「ずっと愚妻だ、愚妻だと言われ通しでした」、「お前のために悪くなった、とまで言われました」と訴えられた。
 私は「おつらいですね」と言うのが精一杯だったが、「ご主人は、必ず奥様のことを分かっていますよ。男は、妻には自分の気持ちを素直に言うのは、照れくさいんです。できたら、朝お顔を洗う時に鏡の中の自分に向かって、新婚時代にご主人が言っていたように『○○ちゃん、苦労かけるね。本当によくやってくれるね。ありがとう』と声を掛けて下さい」と言葉を掛けた。

 次の週、Aさんは、その二日後に亡くなられたと知らされた。

 その次の週、ナースセンターに入ろうとすると、黒い洋服姿の奥様に出会った。私を見つけるとすぐに近寄ってきて、私の手を握った。
 お悔やみを申し上げると、私の手を握ったまま「あの言葉で救われました。今は、主人が愛しい人になりました」と言われた。

 落ち着いた足取りでエレベーターに向かわれる後ろ姿を、感動の思いで見送った。

 二週間前、夫人と私の会話を耳にしたご主人が、どうしようもない辛さの中で、夫として最高の愛と勇気を持って夫人の献身をねぎらい、感謝され、ご家族の幸せを祈る言葉を残されて逝かれたことと信じている。

4)Hさん(86歳)、女性
 [ どうしてこんな病気に・・・ ]
 Hさんに初めて逢ったのは、梅雨の晴れ間の明るい日だった。
 病院の近くの成山公園の散歩に、ナースと一緒に車椅子を押して出掛けた。雨に洗い清められた緑がまぶしい日だった。次の週は、お部屋でマッサージをさせて頂いた。
 4週目にマッサージをしていると「どうしてこんな病気になってしまったのか。この年になってどうして・・・」と訴えるように話しかけられた。「おつらいんですね」と言う他はなかったのだが、ふと「お若い頃から病気一つされないで、働いて来られたんでしょう」と言う言葉が出た。
 その言葉に誘われるように、彼女は娘時代のこと、優しかったご主人のこと、終戦で関西からこちらに来られたこと、お嬢さんの中学の先生から進学を勧められたが、学費の心配とお嬢さんの向学心の板挟みになったことなど、時には嬉しそうに、時には涙を浮かべて堰を切ったように話された。

 その後も、毎週お話を聞きながら、マッサージをさせて頂いた。
 お話の中で歌が好きだと聞いたので、図書館から「小学唱歌」の本を借りてきた。その本を見ながら「一年生の時、壇の上で一人で歌ったんだよ。きがなかったんだね」と笑って言われた。
 その一人で歌った「つき」を、一緒に歌った。

   「でた でた つきが
    まあるい まあるい まんまるい
    ぼーんのような つきが・・・」

 歌い終わった彼女は、少し羞じらいを含んだ微笑みを見せて下さった。

 お気持ちは張りが出てきたように見受けられたが、体調は悪化していた。
 旅立たれたのは、その三日後であった。

 ボランティアに必要なこと

 最後に、日野原先生のご講演でお聞きした、ボランティアに必要なことを挙げておきたい。

 一つは「主体性」である。本当に動機付けがあっての行動なのか、ただ人がやるから自分もやるということなのか。

 第2は、自分の価値観を持っているかどうか。生きる意義とは何か、そして患者さんの人生観や価値観、つまりその人の哲学をどの程度理解できるかということである。
 相手の価値観や宗教を大切にしながらも、自分なりの価値観を持っていないと、ボランティアとしての働きを充分にすることはできない。

 第3は、ボランティアにも技術が必要であるということである。その技術というのは、ある程度の知識とある程度の技能を持った上で、病状をしっかりと理解して、何をすればいいか、いつするのがいいかを読み取ることである。
 音楽で言えば、バッハでもショパンでも楽譜は同じものであるが、演奏家によってその響きが違ってくる。ボランティアが患者さんに接するときの技術も、単なるテクノロジーではなく、アートの域にまで高められたものでなくてはならない。
 「アート」というのは「技術の適用のわざ」のことで、ボランティアにも「適用のわざ」が必要なのである。