第6回(10月22日 アップデート)


初めてヴォーカルを取り上げました。
ジャズ・ヴォーカルの女王
" Ella Fitzgerald "です。


 こんちゃんが初めてエラ・フィッツジェラルドを聴いたのは、偉大なプロデューサー"ノーマン・グランツ"の率いるJ.A.T.P.オールスターズが初来日したときです。
 まだ若かったオスカー・ピーターソン・トリオを従えての熱唱は、45分ほどの時間でしたが、声の艶といい、スイング感覚といい、本当に圧倒されました。
 日劇はなくなってしまいましたが(今の有楽町マリオンのところ)、エラの歌声を聴くと、当時の日劇の舞台がよみがえってきます。

エラ・フィッツジェラルド エラのスキャットは、サッチモとはちょっと違う感じで、自分の声を楽器として使っていて、まさにジャズを演奏しています。オスカー・ピーターソンとの掛け合いも絶妙でした。オスカー・ピーターソンも若くて、絶頂期よりは力任せの感じがありましたが、素晴らしい組み合わせでした。

 この時のメンバーを正確に思い出せないのですが、ディジー・ガレスビー(tp)、J・J・ジョンソン(tb)、ソニー・スティット(as)、ベン・ウェブスター(ts)、ハーブ・エリス(g)、レイ・ブラウン(b)などがいたような気がします(間違っていたら、ごめんなさい)。
 ピアノが誰だったか、思い出せません。

 オスカー・ピーターソンはJ.A.T.P.のメンバーではなく、特別参加の形でした。
それから、ジーン・クルーパも一緒に来たんですよ。

 エラの話からずれてしまいましたね。
 " How High The Moon "、" Sophisticated Lady "、" It don't Mean A Thing If It Ain't Got That Swing "、" On The Sunny Side Of The Street "など、エラのジャズ感覚を堪能しました。

 エラは、`34年にハーレムのアポロ・シアターが主催したアマチュア・コンテストで認められて、チック・ウェッブ楽団の専属になりました。16歳でした。
 それからめきめきと頭角を現して、ジャズヴォーカルのファーストレディと呼ばれるようになったのです。

 こんちゃんが個人的に好きなアルバムは、サッチモと一緒の「エラ&ルイ」(`57)、「デューク・エリントン・ソングブック」(`56)、「エラ&ベイシー」(`63)などの古い録音ですが、ギタリストのジョー・パスと競演した「エラ&パス・アゲイン」でのバラードも聴きものです。
 しっとりとした情感をただよわせる" The Man I Love "(ビリイ・ホリデイのも絶品!)、そして" Nature Boy "(ナット・キング・コールのものが有名ですね)など、スイング感あふれるバップ・スキャットのナンバーとはひと味違うエラが楽しめます。

 イラストは若い頃のエラですが、晩年はかなり太めになって心臓病を患って、`86年頃からはほとんど引退状態でした。

 `96年に78歳で亡くなりました。


 ノーマン・グランツの率いたJ.A.T.P. All Stars (Jazz At The Philharmonic の略)は、ノーマン・グランツが選んだジャズの巨人たちの集まりで、演奏はミュージシャンに任せて、彼自身は全く注文を付けなかったそうです。
 本当の初来日は駐留軍が宝塚劇場(アーニー・パイル劇場と呼ばれていました)を使っていた頃で、`47年のことでした。
 当然日本人は聴くことができなかったのですが、植草甚一さんはもぐりこんで聴いたという話をどこかでされていたのを覚えています。

 その時にもエラが来ていたそうで、サッチモも一緒だったようです。