第2回(3月7日アップ・ロード)


Louis "Satchmo" Armstrong


 真っ白なハンカチで顔を拭きながら、しわがれ声でスキャットを交えて歌うルイ・アームストロングを聴いたことのない人は、ほとんどいないのではないでしょうか。(数年前HONDAのコマーシャルに、彼の歌う"What A Wonderful World"が使われていました。)口が大きいことからサッチモ(satchel mouth…鞄のような口…をつめてSatchmo)の愛称で親しまれていました。

ルイ・アームストロング 彼はデキシーランド・ジャズの王様ですが、彼の影響を受けていないジャズ・トランペッターはいないと言っても良いでしょう。

 1900年7月4日にニューオーリンズに生まれたルイは、少年院に入れられるほどの悪たれでした。けれども、その少年院でトランペット(本当はコルネットだったそうです)と出会い、彼の一生が定められました。まさに運命的な出来事だったのです。 トランペットの演奏を身につけたルイは、様々なバンドに雇われましたが、キング・オリバーのバンドに入って、一気に花を咲かせました。

 1920年代に、彼自身のバンドを作りました。有名なのは、ルイ・アームストロングとホット・ファイヴ、並びにホット・セヴンです。その頃の演奏は、ごく一部ですが、CDでも聴くことができます。サッチモのトランペットは輝いていて、聴くものを引きつけて放しません。また、彼独特のヴォーカルは、この頃から完成されていて、`20年代から`30年代にかけての第一次全盛期と、`40年代後半からの第二次全盛期とを比べてみても、ほとんど変わりません。

 ジャズ・ヴォーカルの特徴の一つのスキャット(シャバダバとか、ドュビデュバとか、歌詞ではない音で歌う)は、サッチモが「ジーパス・クリーパス」(あんまり確かではありません (+_+))を歌ったときに歌詞を忘れてしまったので、即興で歌詞ではない音で歌ったのが始まりと言われています。

 `30年代は、ホット・セヴンとオールスターズでデキシーランド・ジャズを演奏していましたが、`40年代に入ってオーケストラやビッグ・バンドとの競演が主になり、盛んにポピュラー・ソングを歌っていました。「バラ色の人生」や「Kiss Of Fire」などは、その頃の傑作の一つですが、サッチモのファンとしては何か物足りないものがありました。

 ところが、`47年にニューヨークのタウンホールで行われたコンサートをきっかけに、サッチモは再びジャズの世界にもどってきました。この時の録音は、かってはほんの一部がレコード化されているだけでしたが、今はCDでその全容を聴くことができるようになりました。

 この頃のサッチモは、映画「グレン・ミラー物語」や「五つの銅貨」(ダニー・ケイが主演したレッド・ニコルズの伝記映画)などにトラミー・ヤング(Tb)、バーニイ・ビガード(Cl)、ビリー・カイル(P)等と出演していますので、ご覧になった方もあるでしょう。

 サッチモ・オールスターズは、これから後、世界中を演奏して廻りました。そしてイタリアでの演奏会から「Ambassador Satch.」という素晴らしいレコードが生まれました。

 日本へ来たときは私も産経ホールへ聴きに行きましたが、その時はトロンボーンがジャック・ティガーデンでした。"Tiger Rag"、"Royal Garden Blues"、 "St.James Infirmary"、"Saint' Go Marching In"、ティガーデンと掛け合いで歌う"Rockin' Chair"、そして勿論"St.Louis Blues"。サッチモのトランペット(というより、サッチモのジャズ)にしびれたひとときでした。

 サッチモは惜しくも1971年に亡くなりましたが、ジャズがある限り、サッチモはジャズと一緒にあり続けることでしょう。


 へたくそなイラストを描いてみました。気に障ったらゴメンナサイ m(__)m

 サッチモが最初に認められたバンドをフレッチャー・ヘンダーソンのバンドと書きましたが、キング・オリバーが正しいようです。こちらは訂正しました。

 またまた、ゴメンナサイ m(__)m