第6回(`99年9月10日 アップロード)


 改めて、自己紹介を…

 こんちゃん、62才、蟹座。

 本来は外科医ですが、最近はホスピスの仕事がメインです。

 郡山に来たのが `80年の9月ですから、満19年になりました。
(前回も書いたような気がするな〜)

 まだ新幹線が工事中で、病院の窓から東京に向かう東北線のテールランプを見ると、ホームシックにかられたものです。
 なにしろ、それまで東京近辺を離れて生活したことがなかったんですからね〜。

 それが今では、東京から帰ってきて郡山の駅に着くとホッとするんですから、すっかり郡山の人になったんですね。

 前に3才までの写真をお見せしたので、今回は5才の時の姿を…。

満5歳、叔父と 小学校2年までの写真は戦災で焼けてしまい、ほとんど残っていません。
 これまでにお目に掛けた写真も、親類にあったのをコピーしてもらったものです。

 これは叔父が学徒出陣(大学生のまま出征すること)の時に撮ったものです。この後叔父は朝鮮半島に行き、終戦の時にはソウルにいたそうです。
 邦人の引き上げを手伝って、叔父が帰国したのは終戦から一年後でした。

 こんちゃんは、この写真を撮った後で葛飾に引っ越しました。

 葛飾(青戸)に越した頃は、周りは畑と田圃ばかりで、家の縁側から京成電車の青砥駅が見えました。(今ではマンションや住宅が密集して、まったく様変わりしてしまいました。)

 その縁側から昭和20年3月10日の東京の下町大空襲を見ていました。
 高射砲も届かない高い空をB-29(アメリカの爆撃機)の編隊が悠々と飛行して焼夷弾と爆弾を落とし、空一杯に花火を打ち上げたような光景が何時間も続きました。

 広島・長崎の原爆で亡くなられた方々は大変お気の毒ですし、世界で初めて核爆弾の被害者を出したことは、世界に向けて強くアピールしていかなければならないと思いますが、東京だけではなく全国でも戦災による被害者が沢山あったことも、忘れてはいけないのではないでしょうか。

 …と、ちょっとシリアスな話になりましたが、終戦記念日を迎えたばかりということで、ご勘弁ください。